【大局観ー自分と闘って負けない心】羽生善治さん著
結論、勝負の手を読む力は若いときが上だが、「大局観」により、若き日の自分とも互角以上に闘えるよ!という本です😌
トピックは27個あり、そのなかで、『リスクを取らないことは最大のリスクである』、『ミスについて』のところが特に勉強になったので、以下抜粋します。
リスクを取らないことは最大のリスクである
将棋の世界は、リスクをとらなければ棋士の成長は止まってしまう。
だから私は、新しい手を見つけたら、メジャータイトルを含む実際の対局で試すようにしている。練習で試すと、すぐに対策が立てられてしまう。
新しい作戦をいきなり実践で試すのはリスクが高く、負けて一時的に勝率が落ちることもあるのだが、本番で試すリスクをおかさない限り、プロ棋士としての成長はない。
むしろ、リスクを取らないことが最大のリスクだと私は思っている。
(中略)
同じ戦法を手堅くとり続けるということは、一見すると最も安全なやり方のように思えるが、長いスパンで考えたら、実は、最もリスキーなやり方なのである。
来年も再来年も勝ち続けるためには、長期的な展望に立って新しい戦法に挑戦していく前向きな姿勢が必要だ。
(中略)
たとえ新しい戦法が失敗を重ねても、その努力は三か月後から一年後には成果となって表れるはずだ。もしも一年を過ぎても成果が現れないようであれば、その戦法を潔く諦める覚悟も必要になってくる。
やみくもにリスクをおかしてチャレンジすればいい、というものではない。チャレンジの期間は、目安を決め、柔軟に対応するのが良いと思っている。
(中略)
人間というのは、経験を積むにしたがって、だんだんとリスクの重大さに気づき冒険を避けて同じような道筋を好むようになる。
家族や地位や名声や収入など、守るべきものが増えてくると、若い頃のようなチャレンジ精神や知的好奇心は失われ、リスクを取るのを厭(いと)うようになるというパラドックスも抱え、停滞が始まる。
リスクを取ることを回避して昔の元気な頃に戻ろうとしても、それはとても難しい。
リスクにきちんと正面から向き合い、リスクに伴う恐怖や不安に打ち克(か)つことが、永続的にリスクを取り続ける王道だと、私は思っている。
(中略)
何でもかんでもやみくもにリスクを取るのは無謀だが、そうかといって、まったくリスクを取ろうとしなかったり、取ったとしてもごく小さなリスクであったりするならば、ほとんど意味のない行為のような気がする。
(中略)
リスクを取る楽しさを一度覚えてしまうと、また取らずにはいられない一面がある。「スピード狂」と呼ばれるドライバーも、これと同じような心境かもしれない。
(中略)
たとえば、私はこれまで自分自身の性格を分析して、「リスクを負うことを厭わず、自ら危険なところに踏み込んでいくタイプだ」と公言してきた。
たくさんの対局を経験していくと、「手堅く安全にいこう」という気持ちが、どうしても自分のなかで習慣化してしまいがちなので、それを戒める意味でも、あえて意欲的で挑戦的なことを言って、前向きな姿勢を示しているのである。
ミスについて
答えがわからない場面は、必ず出てくる。その時に何をするか、どのように考えるかが、とても大事なことなのである。
(中略)
人はなぜ、ミスをおかしてしまうのだろうか?
考えられる理由はいくつかある。
(中略)
ベストと思われる手段が数多くあるなかから、どれを選べばいいのかわからなくなってしまったようなケースだ。
これは、自分自身の実力が至らなかったわけだから、より幅広い視野を持つよう努力し、次回からはきちんと選択できるようにするしかない。
(中略)
現実には、選択肢の一つとして「正解」があったにもかかわらず、それを選ぶ決断ができず、結果としてミスになってしまうケースも多いようだ。
その背景としては、次のように様々な要因が考えられる。
⓵状況認識を誤っているケース
将棋で言えば、「優勢なのか、互角なのか、不利なのか」や、「急戦なのか、持久戦なのか」「あとどれくらいで結着がつきそうなのか」などの判断が的確にできなくなってしまうようなケースだ。
(中略)
⓶感情や心境に左右されて正しい判断ができなかったケース
状況が自分に有利なので楽観的になり、厳密さに欠けてしまって、ベストの選択ができなかったケースだ。あるいはその逆に、状況が自分に不利なため必要以上に悲観的になり、ジリ貧になってしまうケースもある。
(中略)
では、すべての感情を押し殺して、常にクールでシビアに選択をすれば良いのだろうか。
私自身は、それがベストだとは思っていない。
(中略)
「これはいける、これはダメだ」という感情が一時的な情動だとしても、そこには必ず、そう思うだけの理由があるからだ。
冷静さを失い、そうした感情のままに判断すればミスが増えてしまうが、そこにお茶を飲んで一息ついてからのワンクッションを入れてから決断すれば、むしろミスは減るような気がしている。
(中略)
なかでも注意すべきなのは、複数の選択肢をシュミレーションして、どちらもうまくいきそうもない場合だ。こんな時には、最後に思いついた別の選択肢が、やけにうまくいきそうに見えることがある。
しかしこれは、「なかなか決断ができず苦しんでいる状況から、一刻も早く抜け出したい」という心境が生み出している”錯覚”であることが多いのだ。
私の場合、第三の選択肢が出てきた時には、いつも以上に注意深く、時間をかけて確認するように心がけている。
(中略)
あるいは、過去の一場面を思い返して、「なぜあの時、あんな選択をしたのだろう」と後悔し、現在の状況の検討に集中することができず、ミスしてしまうケースもある。
「隣の芝生は青い」ではないが、人間は、自分が選択しなかったことが実際より良く見えてしまう傾向がある。
(中略)
ひとことで「ミス」と言っても、マイナス一点程度の軽いミスもあれば、マイナス百点のような取り返しのつかない致命的なミスもある。同じミスでも、リカバリーが利くかどうかの差はとても大きい。
(中略)
将棋における最後の詰めの場面も、これと全く同じだと言っていい。
もしもそこでミスをしてしまったら、どうすればいいのかー。答えは二つある。
一つは、悔やんでも仕方がないので、それまでのことはすべて無にして、「自分の将棋は次の一手から新たに始まる」と思うことだ。
もう一つは、忘れることである。これがいちばんの策と言えるだろう。
私は、どんなにひどいミスをしても、すぐの忘れるようにしてきた。おかげで最近は、努力しなくてもすぐに忘れられる。どうであれ、次の一日は、始まるのだ。
将棋に限らず日々の生活のなかでも、一つの選択によって極端にプラスになるわけでもないし、取り返しつかないマイナスになるわけでもない。
地道にプラスになるような小さな選択を重ねることで、いつか大きな成果に至るのではないかと思っている。